塾・予備校や一部のマスコミは,したがって受験生をかかえる保護者の大半も,2021年の入試から「英語民間試験」が導入されることはすでに規定の事実であると考えて,その宣伝や対策に余念がない。しかし,旧帝大7校のうち東京大学が,2018年9月に,2021年の入試において「英語民間試験の受験を出願の必須の要件としない」という方針を打ち出し,名古屋大学,京都大学も同様の方針を明らかにした,東北大学と北海道大学さらに踏み込んで「英語民間試験を入試に活用しない」ことを明らかにした。つまり当初,懸念されていた問題点は改善されるどころか,改善の目途すら立っていないのが現状である。このまま強行した場合,諸々の問題点が一気に表面化することは避けられないだろう。これ以降の推移は<どうなる英語民間試験>をご覧いただきたい(現在,このページは閲覧できません)。
(2018.6.3) 2020年度 (2021年の入試) から,現行のセンター試験に代わる「大学入学共通テスト」が実施されることになっているが,最も大きな変化は「英語民間試験」の導入である。従来の「読む・聞く」に加えて「書く・話す」が課されるわけだが,本丸はスピーキングである。日本人は中学・高校と6年間,英語を学習しても一向に英語を話せるようにならなかった,とこれまでも散々言われてきたが,自民党文教族と文科省は,いよいよアクセルを強く踏む方針を固めたようだ。
もちろん財界の意を汲んでいることは言うまでもないが,いっぽう民間試験の導入の旗を振り続けてきた「民間有識者」の存在と影響も無視することはできないだろう。東大を始めとする国立大学の方針も二転三転し,外部からの相当な圧力も指摘されているが,詳しい事情がわからないので,深入りは避けたい。私個人としては,本当に効率的に英語を話す力が身に着く有効な方法があるならば,その方法を採り入れること自体に反対する理由はない。とはいえ「コミュニケーション重視」の掛け声の下,極端な文法軽視・無視を正当化して,不自然な英語教育を押し進めてきた経緯を考えると,政府の方針に諸手を挙げて賛成する気にもなれない。
ネット・新聞・雑誌等で判断の材料を探してみたが,予想以上に情報が不足していた。「民間英語試験(の導入)」で検索すると相当な件数がヒットするが,時系列ではなく,また重複する情報が多いので,問題の経緯を正確に掴むのは容易でない。地方紙に比べると,大手の全国紙は驚くほどこの問題に関心が薄い。国会で論議の対象になった形跡も見当たらない。(その後6月6日に衆院文部科学委員会で野党議員がこの問題を取り上げたが,議論は深まっていない。)情報の発信者として目立ったのは「カリスマ英語講師」の安河内哲也氏であった。そこで氏の発言や授業のビデオを拝見したが,正直に言って I was shocked. と言っても過言ではない。真意はわからないが,最も熱心に英語の四技能の重要性を訴えて,自ら模範になろうとしている人の授業が次のビデオのようだとすると,民間試験の導入によって英語を「読んで,書いて,聞いて,話せる」ようになることなど夢のまた夢と言わざるを得ない。
いっぽう2017年12月に日本で発売された「ポケトーク」のビデオはセールス・プロモーション用なので,少し割り引いて評価する必要があるかもしれないが,ネットで公開されている諸々の英語のスピーキングの授業の現実と比べると,今後の帰趨を占う一つの材料にはなるかもしれない。現在,日本の中学・高校で行われているスピーキングの授業は,英語の習得よりも,むしろ学級崩壊対策・いじめ防止対策として役立つのではないかと思われる。
(2018.6.6) 驚きの連続と言ってよい,安河内氏のモデル授業の問題点を二つだけに絞って指摘したい。氏の発言の関係箇所の文字お起こしは以下の通りである。
When I go to America, I intentionally use Japanese English.
I speak Japanese English like this.
I speak samurai English because I don't want to lose samurai spirit.
So you can speak in samurai English.
※引用箇所の前の文脈からすると samurai English とは Japanese English のことであり,つまり English spoken with poor pronunciation のことである。しかし,そもそも "samurai spirit"とは何のか。「武士道(の精神)」のことだとすると,Japanese English を話すことと samurai spirit を保つことはどういう関係があるのか。
This person is standing in front of the North Korean door like this.
He was protecting Japanese students from North Korean soldiers.
I talked to him in English, and I said, "How old are you?"
And he said, "I am twenty years old, I am a college student, and I now work for the military."
I was shocked.
I was a twenty-year-old college student from Japan, fooling around in Korea,
having fun.
And he was risking his life to protect us, Japanese college students.
※This person とは板門店で警備に当たっている韓国軍の兵士のことである。見学ツアーの参加者は,写真撮影は認められているものの,警備の兵士に話しかけることは禁止されている。ただし,安河内氏が二十歳の学生だったのは30年前のことであり,可能性はきわめて低いとはいえ,会話を交したという氏の言葉を作り話と断定することは控えたい。問題は二度繰り返されている He was protecting Japanese students from North Korean soldiers. という発言である。安河内氏は韓国通であり,38度線や板門店の役割は十分承知しているはずである。あまりにも短絡的な事実に反する発言は,いくら speaking English が目的とはいえ,授業に参加している高校生(上野丘高校は大分県きっての進学校である)に対して不誠実である。
外国語とはいえ,小学生レベルの話を聞かされていれば,思考の回路も小学生並に退行現象を起こすのは当然であり,生徒たちの高校生とは思えない幼い表情に如実に表れている。学級崩壊対策として役立つゆえんである。要するに安河内氏のネット上の諸々の発言には,失礼ながら「英語を話すことは素晴らしい」という以上の中味がない。東進のビデオ授業の内容にもそれが表れているが,氏を「カリスマ英語講師」として崇拝している人を批判するつもりはない。何事も「信ずる者は救われる」からである。ただし,氏が強力な擁護者となって推進する「英語民間試験」の価値そのものが損なわれることを危惧する。もっとも,予定されている8種類の試験に,元々損なわれるだけの価値があればの話である。
(2018.6.17)「共通テスト」という名前で8種類の民間試験を使用する整合性のなさ,受験機会の格差,採点の公平と公正に対する疑念等を置き去りにして,なぜそれほど急ぐのか。拙速なことは明らかだが,こうした指摘はすでに高校・大学の現場からもなされている。したがって,前回と同様に,別の視点からこの問題を論じたい。英語の4技能を均等に身に着ける英語教育が世界のトレンドだというのが推進論者の主張だが,スピーキングが本丸であることはすでに指摘した。旗振り役の安河内氏が "samurai English" を駆使した「聞く・話す」が得意なのは事実だと思われるが,問題はその中味のレベルである。それが端的に表れるのが writing あるいはそれに相当する speech や presentation であろう。ネット,動画,受験参考書等を探していて次のスクリプトが見つかったので,紹介したい。
English is the language of the world. English is not just an American language
now. English is not just a British language anymore. The global use of
English might be a product of wars and the sad history of colonization.
But look at the facts. English is used all over the world for businesses
and academic use, so it' s everyone’s language now. Over 50% of English
speakers are non-native speakers, like us. That means if we go to Africa
and talk to the children there, they will say to us,“Welcome to Africa!”
Isn’t that wonderful?
If you go to Russia and talk to the young people walking there, they will
say to you, "Hello, comrades, welcome to Russia!” Isn’t that great?
That's why I teach English. That' s why I want all young people, and all
businesspeople to master English. And... and I want you, I want us all
to feel the joy of communication. So, why not study this wonderful language
more, and why not teach your employees this wonderful common language that
connects everybody in the world? This will undoubtedly help build a more
peaceful world. If you think you can, you can. If you think you can’t,
you can’t. So, let’s introduce speaking tests. And make your students,
and employees smile.
※英語検定協会と産業能率大学共催のフォーラムの講演(2014.9.3)の一部であり,安河内氏が自分で書いたのではないかもしれない。したがって,カンマに関しては産能大の担当者が自分の判断で打った可能性もあるが,内容を勝手に書き換えたということはあり得ない。「突っ込みどころ満載」だが,指摘は最小限に止めたい。なお安河内氏は,前回のモデル授業のビデオの中で "When you speak, you can make mistakes. When you write, be very careful." と明言している。
1. English is the language of the world. → English is a language of the world.
*the だと英語が世界で唯一の言語になる
2. English is used all over the world for businesses and academic use. → English is used all over the world for business and academic purposes
*businesses は「会社,商店」の意味になる
*is used ... for ... use はおかしな表現
3. if we go to Africa and talk to the children there → if we go to Africa and talk to children there
*the children there だとアフリカの特定の子供たち,あるいはアフリカの子供たち全員と話すことになる
4. If you go to Russia and talk to the young people walking there → If you go to Russia and talk to young people walking there,
*the young people walking there だとロシアを歩いている特定の若者,あるいはロシアを歩いている若者全員と話すことになる
5. That's why I want all young people, and all businesspeople to master English. → That's why I want all young
people and all businesspeople to master English
*カンマ不要
6. And make your students, and employees smile. → And make your students and employees smile.
*カンマ不要
7. If you think you can, you can. If you think you can’t, you can’t.
*can, can't の後に動詞を補うとしたら何か。build a more peacefu lworld だと So, let's introduce
speaking tests. とつながらない。その前の why not study ... and why not teach ... の部分を受けていると思われるが,であるならば
and why not teach your students and employees ...とするべきである。そうすれば,結びの文 And make your students and employees
smile. と少しは整合する。要するに,このスピーチは casual conversation「雑談」の域を出ていない。文字どおり "enjoy
making mistakes" を実践しているだけである。Practice makes perfect.は氏の謳い文句だが,いい加減なプラクティスからパーフェクトが生まれるはずがない。
発信型の英語力を養うことに異論は無いが,そのプロセスと方法,時間配分には慎重でなければならない。アウトプットには十分なインプットが必要だからである。オリンピックにかこつけた観光客の道案内など矮小な目的に目くらましされてはいけない。日本を訪れる観光客の大半は英語を話せない中国人と韓国人である。「ポケトーク」にも遠く及ばないレベルのスピーキングの授業は,実は「日本人同士の」和とコミュニケーションを図っているに過ぎない。だから学級崩壊対策だと考えれば,それなりの意味はあるだろう。言うまでもなく,拙速な民間試験導入の受益者は中高生自身ではなく,英語産業・英語業者である。安河内氏とは私的な接点は皆無だし,個人的な好悪の感情もいっさい無いが,日本の英語教育を,世界で通用する本物の英語力の養成とは真逆な方向に誘導している責任を自覚してほしい。なお英語4技能習得の優先順位については,改めて論じたい。
(2018.8.27) 前回の更新から二ヶ月以上経ち,英語民間試験をめぐる状況はかなり変化している。7月12日に東京大学内のワーキング・グループが実質的な反対論を答申した。9月には大学としての最終的な方針を出すことになっているが,どういう結論になるのかは予断を許さない。民間試験の導入は「無理が通れば道理引っ込む」政治案件だからである。「日本人は世界一英語が下手」「日本だけが世界から取り残される」と言って国民の不安を煽る英語業者の広告塔・代弁者たちは,実は初めから特定の民間試験の導入が目的だったのではないかとさえ思われてくる。仮に世論が文科省の方針を支持しているとしても,"informed consent"とはほど遠いのが実情である。
早くから警鐘を鳴らしてきた「毎日」,そして「日経」に次いで,教育問題に疎い日和見主義の「朝日」がようやく本格的にこの問題に関わってきた。遅きに失したとはいえ,8月24日付けの社説で「混迷の原因は,文部科学省が大学や高校現場の懸念に十分こたえないまま,導入を決めた拙速さにある」「日本は入試の公正さを重んじる社会だ。おおかたの納得と合意がないまま強行した場合の不信と混乱は,測り知れない」と言い切ったことを評価したい。この間の詳しい経緯は民間試験導入反対の急先鋒,阿部公彦東京大学文学部準教授のツイッターをご覧いただきたい。 阿部公彦 Twitter なお私個人の考えは阿部教授の考えと 100%一致する訳ではない。
大分県や東京都羽村市や品川区が提供している英語授業の動画を一通り視聴した。取材カメラが入っている晴れ舞台であることを割り引かなければならないが,生徒はみな楽しそうでとても微笑ましい。特に小学生対象の授業はたいへん工夫された授業が多い。確かに英語を話すことへの抵抗は解消されるだろう。ただし,こうした例はあくまでも先進的な成功例に過ぎないと思われる。授業内容のレベルは学校(生徒)のレベルにほぼ比例している。中学と高校でレベルが逆転している場合もある。大分県のある高校一年の授業で,生徒が "station name ライトゥン in hiragana can read children" と言っていた。おそらく "station name written in hiragana, which children can read" と言いたかったのだと思われる。残念ながら前者の英語でコミュニケーションが成り立つことはないだろう。
今回は,一般のユーザーがアップした「ポケトーク日英自動翻訳」の動画を見てほしい。もちろん完璧とは言えないものの,日本語特有の表現でもかなり正確に翻訳されていることがわかる。他の自動翻訳機でもよい。翻訳機能がさらに進化して,操作性,音質など改善され,さらにはウエアラブルにでもなれば,日英間に限らず日常会話に不自由することはなくなるだろう。しかしこのレベルのスピーキング力を身につけるには,大量の英語表現をインプットする必要があり,学習に膨大な時間を費やすことになる。生活の様々な場面に対処できる会話力を身につけるのは容易なことではないからだ。
いっぽう,スピーキングの能力を正確・公平に判定することはたいへん難しい。過去に英検を受けた生徒たちに聞いた限りでも,異口同音に,面接担当者によって基準がずいぶん異なると言っていた。高校の英語の時間が,通用するかどうか疑わしい "samurai English"を話すことに費やされ,その分,良質な英語のインプットや,大学入学後に必須の要件となる英語を速く正確に読む力や,しっかりした英語を書く力の習得が疎かになれば,文字通り「史上最悪の英語政策」になりかねない。