阿佐谷英語塾塾長のメッセージ

英語の早期教育とグローバリズム


更新マーク 2018.9.10 2014.1.8

「英語の早期教育とグローバリズム」について論じる前に「英語の習得と英語の早期教育」である程度,本質的な問題点を論じたつもりであり,最後に「衆院選で絶対多数を得た自民党と,日本を崩壊に導きかねない安倍氏の思想の危険性は別のところで論じたい」と述べた。(このページは現在は閲覧できません)案の定「消費税増税」「TPP」「成長戦略=構造改革」「原発推進」「特定秘密保護法」と,予想通りの政策を次々に打ち出してきた。と同時に「教育改革」の柱として大学入試制度の大幅な変更と,さらなる「英語の早期教育」に照準を合わせてきたようだ。

私自身は英語教育の末席に連なる一人として,本当に日本人の英語力が向上するならば,そのこと自体は大いに結構なことだと考えている。ところが,一見すると個別の課題に見える上記の問題はすべて同じ根から派生したものである。要するに,財界・大企業の要請に応えるものであり,市場原理主義に根差したグローバリズムに他ならない。安倍氏を「保守主義と新自由主義の合体」と見る向きが多いが,むしろ本音は戦前回帰を目指す国家主義者というのが正確なところだろう。米国の評価もそれに近いはずである。無国籍企業化していく大企業との蜜月が続くとすれば,日本の社会全体がかなり「危うい」方向に進むことになる。

一般の人々や平均的な受験生にこうした話がどこまで通じるかわからないが,一時,安倍内閣の支持率が急下降したということは,国民が健全な判断力を保っている証拠である。(少なくとも慶應法学部の小論文に対処するためには,この程度の背景知識は欠かせないだろう。)しかし英語の早期教育は次元の違う話だと思っている人は,英語の早期教育こそ財界にとって最も都合の良い話であり,企業にとって使い勝手の良い人材の育成を教育に求めるものであり,一部のまともな企業を除いて,その結果がどうなろうと責任を負うつもりなどまったくないだろう。無国籍企業の無国籍たるゆえんである。今回は,私が一人で長々と述べる代わりに,いくつかの動画を紹介したい。まず「西部ゼミナール」のアベノミクスと改憲の是非を問うを取り上げる。ご覧になる人は2013年9月7日放送分をクリックしてください。東大卒業生には珍しい俊才の中野剛志氏と若手の研究者柴山桂太氏の話が聞けるからです。「保守と語源」が売りの西部邁氏を特に高く評価している訳ではありません。(あいにく,2018年現在この動画は視聴できません。)

引き続き,中野,柴山両氏の「京都・国際シンポジュウム グローバル資本主義を越えて」(ニコニコ動画2013年12月02日) にリンクするつもりだったが,無料とはいえ会員登録が必要であり,また再生時間がかなり長いので割愛します。関心のある方は時間が許すときに視聴してください。代わりに次のニュースを引用します。

WEB Ronza 2013年12月13日 大学の「英語化」は日本の国際競争力を下げる (http://webronza.asahi.com/) 。
グローバル化の必要性が叫ばれる中,大学の「英語化」が進んでいる。英語の授業を増やし,英語が母国語の教員を増やし,留学生を増やし,事務職員にも英語が堪能な人たちを増やす。そうしなければ世界との競争に負けると国はいう。そのための予算ならつけるという施策の結果,各大学は競うように英語化に突き進んでいる。だが,在米25年の佐藤匠徳・奈良先端科学技術大学院大学教授は「こんなことをしていると日本の競争力が下がる」という。

「日本の大学の "英語化" の動きが活発になってきた。英語化とは,大学で英語による授業を増やすことのほか,外国人教員の増員,留学生の増員,事務業務の英語化,などの全体を指す。これらを積極的に推進するために国から各大学に巨額の税金が流れ込み,また,これらをどれくらい推進しているかによって各大学が国から評価されている。しかし,米国の大学で長年研究教育をしてきたひとりとして,筆者はこの状況を大変危惧している。現在の日本の大学の英語化は,大学ひいては国の国際競争力を下げることになりかねない危険な要素を多く含んでいるからだ。そこで、以下に筆者の観察,意見,そして提言を述べる」

※ところが,続きを閲覧しようとすると,無料会員登録が必要なのはやむを得ないとしても,個々の記事を読むのは有料で,商品として購入する必要があることがわかった。とてもリンクを貼るわけにはいかない。仕方がないので,新聞に掲載された要約記事(要するに web記事の宣伝)を紹介しておきます。

まず懸念されるのが授業の質の低下だ。TOEIC 満点の学生や海外留学経験者でも「専門分野を深く掘り下げて,微妙なニュアンスを使い分けて喧々諤々(けんけんがくがく)と議論をおこなえるレベルからはほど遠い」のが実情で,現状は授業の中身が薄っぺらになり,大学の授業が 「英会話学校化」 していると教授は言う。
英語偏重のあまり,英語圏からレベルが高くない教員の採用が増加。一方,広報や財務などのプロの外国人事務員らを採用できない現実も。英語化を焦らず,「まずは小中高の教育の改革(教員の質の向上も含めて)が必要である」と教授は訴えている。

※ただし佐藤教授も,大学の入試に TOEFLの導入を提唱するなど,籍を置かれているのが大学院大学のためであろうか,日本の高校生の英語力の現状を正確に把握されているわけではない。なお私が同大学に関心を抱いたきっかけは2013年9月24日付けの朝日新聞に,情報科学の中村教授らによって自動同時通訳の技術が開発されたというニュースが掲載されていたからだ。東京五輪が開催される2020までに実用化を目指すとのことだが,すでに経験一年程度の同時通訳者と同レベルに達しているという。政府自民党の早期英語教育の導入も五輪による外国人観光客の招致をひとつの目途にしているが,企業経営者とは異なる長期的な視野と展望を持つべきであることはいまさら言うまでもない。

佐藤教授の話からもわかることは,日本語という言語の質の高さであろう。日本の早期英語教育を論じるとき必ず引き合いに出されるのが,フィリピンと韓国と中国の英語教育である。しかし英語を習得しなければあらゆる分野の研究が成り立たず,しかも元米国の植民地であるフィリピン,ハングルだけでは一部専門用語の記述に支障を生じるだけでなく,特定財閥企業の輸出に過度に依存する過酷な競争社会の韓国,多くの矛盾を抱える巨大な発展途上国であるがゆえに,世界の覇権国家として米国の地位を脅かす中国,これらの国と日本とでは,英語教育のスタンスに差があるのは当然のことである。グローバリズムの波に翻弄され,自国の立ち位置を忘れる愚を犯してはならない。

このテーマは前回で切り上げるもりだったが,新しいニュースを目にしたのでお知らせしておきたい,というよりお知らせする義務がある。2014年1月3日の朝日新聞に「人口知能が雇用奪う未来」といういささかセンセーショナルな見出しで報じられていたのは,国立情報学研究所の新井紀子教授をリーダーとする人口知能開発プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」の二年目の経過報告であった。すでに大半の私大で合格ラインをクリアし,2021年を目処に東大合格を目指すという。新井教授の言葉を引用する。「まず教育は抜本的な見直しが求められます。たとえば機械翻訳が発達すれば英語教育が10年後も必要かどうか。難しいのは,教育を見直す速度に比べて機械の発達のほうが速ければ,せっかく努力して身につけた教育が役に立たなくなってしまうことです」。(その後2021年の東大合格は断念して仕切り直しとなったが,いまのところ今後の目途は立っていない。開発プログラムの根本的な見直しが必要だと思われる。)

前回紹介した奈良先端科学技術大学院大学の自動同時通訳,「英語の習得と英語の早期教育」で最後に触れたNTTコミュニケーションズの自動翻訳機も含めて,すでに自動通訳・自動翻訳は10年以内に実現可能の域に達していると考えてよいだろう。まだ実感が湧かない人が多いかもしれないが,初歩の日常会話レベルの英語を身につけるために,日本国民全員に小学校低学年から強制的に英語を学習させるなど,時間と労力の無駄遣いにすぎないことはやがて明らかになるだろう。文学作品の自動翻訳レベルまで行けるかどうかは今のところ何とも言えないが,日本人が英語コンプレクスから解放される日も遠くはないだろう。少し冷静に考えれば,英語圏の国に生まれなかったというだけで著しく不利な立場に置かれるという実に奇妙な不平等から解放されるのは,むしろ当然のことだろう。言葉という巨大な障壁が打ち破られてはじめて,公正な競争の場が用意されることになる。

英語の習得とそのための英語教育が完全に意味を失うことはないかもしれないが,これまでの経緯から優先順位が高いとはいえ,英語は多様な選択肢のうちの一つにすぎなくなるだろう。現在,実用主義一辺倒の英語教育に,再び教養主義的側面が復活してくることになるかもしれない。少なくとも,英語というスキルの習得が最優先されることはなくなるだろう。それどころか,もっとはるかにドラスティックな変化を社会全体にもたらす可能性もある。もしかすると,英語に限らず外国語の学習は,ごく少数の専門家を除いて,趣味の領域に止まることになるかもしれない。新井教授の言葉を借りれば「技術の進展は思いもよらぬ形で副作用をもたらします。....事態は1980年代に始まっていました。まず職を奪われたのはタイピストや電話交換手です。大騒動にならなかったのは失業したのが女性ばかりだったから。男性は自分たちの雇用が危うくなって初めてその深刻さに気づいたのです」。教授は一橋大法学部卒,米国イリノイ大学大学院数学科終了という経歴のゆえであろうか,理系の研究者によくある知能が高い(だけの)専門ばかではなく,バランスの取れた目配りの出来る人であるようだ。それにひきかえ,大学の研究者というよりは経営者,そして英語の専門家と称する人たちの勉強不足と洞察力・先見の明の無さには呆れるほかはない。

英語の早期教育に関してもはや多言は不要だろう。したがってグローバリズム=グローバル資本主義と市場至上主義についてはあえて深入りをせず,以下のこと述べるに止めたい。規制緩和(構造改革)というと真っ先に出てくるのが雇用の規制緩和である。実は小泉・竹中構造改革の時からこれが本丸であった。2014年当時は雇用の三分の一であった非正規雇用は,2018年には40%を占めているが,その平均年収は 160万円台である。当然,正規雇用の年収も低くなる。企業がグローバルな競争市場で生き残るために,成長戦略の要としてさらに生産性を高める必要があるという。つまり労働分配率をさらに低くする必要があるという。しかし現実には,上場企業は2016年の時点ですでに 400兆円を超える膨大な内部留保をため込んでいる。それでもこうした利益を人件費にも,設備投資や研究開発費にもまわさない。つまり政府も企業も成長戦略を描けていないのだ。

こうした政府の政策の欠如と企業経営者のマインドこそが,日本経済の停滞と先行き不安の最大の要因である。「日本人の英語が下手だから,英会話が下手だから日本経済が世界に遅れをとる」などは論理のすり替え,責任転嫁,単なる詭弁にすぎないことは改めて考えるまでもない。企業も大学も判で押したように「グローバルな人材」と言う。グローバルな「人材」であって,グローバルな「人間」ではない。主人公は企業であり,人は企業のために存在する。企業の存在理由は利益をあげることだけである。利益は経営者と株主(資本)が独り占めする。従業員や社会に還元するなどという綺麗ごとは資本の論理に反するからだ。かくして経済格差はさらに拡大し,一つの国に一握りの富裕層と大多数の貧困層という二つの国民が存在することになる。阿倍氏の言う棚田の美しい日本,瑞穂の国の資本主義は,もはや何処にも存在しない。そして最も危惧されるのは,自民党とその支持層のコアな部分に根強い戦前回帰の暗い情念とグローバリズムの危うい結合である。 

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